小さいころから僕は、嫌いだったんですよね。
だいたいが意地悪じゃありませんか、下の句を読んで取るなんて。
なぜ上の句じゃないんですか?
よみふだにはいつものことながら、濁点も句読点もないし。
ふだんからあんなに句読点をつけなさいなんて言ってても
こんな悪例があるんじゃしょうがありません。
どんぐりKは、あらためて句読点の大事さを思い知っていましたが。
それはそうとして燃えますね。
百人一首は、ほとんど人物の絵を覚えるゲームと化しています。
まずはその句が、男の人のものか女の人のものかはすぐに覚えられます。
そして特定の札は、最初の数文字でとれるようにすぐなります。
完全に自分の札として人物像を覚えちゃうんですね。
やっかいなことにそれは有名人で、誰でも知っているので
競争は、よりはげしくなります。
ただこの方式は絵が変わると勝負にならないので、困ったものです。
昔の自分の家で持っていた百人一首の紫式部と清少納言は
紫式部が紫をきてなくて、清少納言が紫をきていたことだけは
よく覚えています。
逆に言うと百人一首で今でも覚えていることはそれだけです。
そんなものですよ。あとは好きな句をいくつかと。
全く知らない札は、競争とは程遠いのんきな話です。
永遠に探し回って、なくしたでしょ、なくしてない
なんて話の繰り返しですから。
いずれにせよ、百人一首を楽しめるのもいいことです。
暗記ゲームにするより、こっそり他人のとりふだを盗みあっているくらいが
楽しいです。札を探しているふりをして移動しながら、3枚くらい盗みますが
意外と気づかれないものです。毎回全然取ってないのに、一枚差で勝つので、
おかしいとそのうちばれて、いかにとりふだを安全にキープしながら札を探すかの
ゲームになりますけどね。
中間で枚数をチェックして、記録する方式に発展することもありますね。
そして記録まで改ざんしたりして、勝負の世界は楽しいものです。
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