ずいぶんと古い言葉ですね。
言葉は、登場が衝撃的で、そのうちいろいろな意味をもち、
ゆっくり死んでいきます。死んだ言葉はだれからも振り返られることが
ないようで、実際は、誰かの心の中ではずっと生き続けています。
連帯を求めて、孤立を恐れません。その続きの言葉も心の中に
しまってあります。
言葉はどのような形で、どのように伝えても、誤解を招きます。
ネットだろうがリアルだろうが、程度の差はありますが、
その理由は簡単です。
こちらの発する言葉の想定対象や想定知識量と、受け取る側のそれが
完全に一致することはありえないからです。
かんたんにいえば日本語が通じる前提で話していたのに、
聞いている人は片言の日本語しか通じない人だったみたいなことです。
もちろん、伝える側の技術、やり方や気持ちはありますが、
全く誤解をまねきたくないなら、黙っている方がずっといいことになります。
ただ世の中で、黙っていることで、とくに自分じゃない守るべき存在に
不利益や問題あるときに、その人がどうするか? ですよね。
別に自分や自分に関係ある人さえ大丈夫ならそれでいい
という人もいるでしょうし、
声をあげる人もいるでしょう。
どんぐり学習や環境設定が、壮大な勘違いである可能性はもちろんあります。
そしてそうだった場合、それを推奨したことによる自分の最大限の責任も
とりたいと思います。それだけの覚悟は、すでにできています。
ただ、友達と外遊びした楽しい、そしてときにはつらい、心に刻まれる経験が
低学年の子供の思考回路に残ることだけは確かなので、その点だけでも満足です。
低学年を机にむかって虐待のように毎日、長時間勉強させても、
どこにも行きつきません。
子供は、毎日、友達と外遊びさせるべきです。男の子も女の子も関係ありません。
そのために、連帯を求めて、孤立も誤解も恐れません。
あなたがやらなくて、だれが子供たちのためにやるんですか?
力尽くさずに、ここでも挫けるつもりですか?
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