人が書いた文章を読むと、本人も理解していないような、
いろいろなことが読み取れます。
私は、成人した責任能力のある人間の言動について親には責任がないという考えを持っていて
こちらのブログ(http://topisyu.hatenablog.com/)からの引用ですね。
あじわい深い文章でいろいろなことが読み取れます。
私は~という考えを持っていて、という構造ですね。
~にはいろいろ事実や意見が分かれる物事が入ることが想定されます。
~に「地球が平ら」と入れてみればわかります。
私は、地球が平らという考えを持っていて、
そのあとの文章がかなり興味深いものになりますね。読み進めたいものです。
それはそれとして、~の部分でもう少し分析を進めてみましょう。
「」について親には責任がない。
ってことですね。
あらら、おかしな話になってきました。
親には責任があるのか、ないのか、意見が分かれるってどういうことでしょう?
そんなに法律的に微妙な話題を扱っているんですかね。
最後に「」の部分に迫ってみましょう。
成人した責任能力のある人間の言動について、ですね。
成人した責任能力のある人間の言動について、責任があるのは誰なんでしょう?
そんなことは、聞くまでもないことです。
成人した責任能力のある人間に決まっています。
にもかかわらずこの人は繰り返しますが、わざわざこう書くわけです。
私は、成人した責任能力のある人間の言動について親には責任がないという考えを持っていて
この人は、先ほどの例でいえば、こう書いているに等しいです。
私は、地球がまるいという考えを持っていて、
わざわざこう書く背景は一つしか考えられません。
地球がまるくない可能性についても、
この人の頭の中にはあるってことです。
同じようにこの人は、成人した責任能力のある人間の言動について
親に責任がある可能性について、考えているってことです。
そうでもなければ、こんな表現をわざわざいれる必要はありません。
ちなみに僕は、成人した責任能力のある人間の言動について、
その親には、責任のありようがないと思います。
どう責任があるのか、きちんと説明してもらいたいものです。
もし道義的な責任などと言い出すなら、それは責任と区別して、
道義的な責任とはっきりそう主張すべきです。
そして、あなたは自分の子供が成人してなにかをしたときに
責任をとりたくないということだけはよく伝わってきます。
本人はそんなことは書いていないというんでしょうけどね。
最後に、自分の話をしておきましょう。
いつでも最悪のケースを想定したほうがいいですから。
もし、どんぐりKが大人になって、成人した責任能力のある人間として行った言動で
だれかが大きな被害をうけて、どんぐりKが十分にその被害を賠償できない場合、
親の自分にできる最大限のことをしたい気持ちはありますね。
それは、ただ単にどんぐりKのことが好きだから助けたいっていう
単純な理由だったりしますけどね。
好きな人のことは、理屈はどうあれ、自分の人生をかけて助けるべきだと
思いますけどね。
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