最初は、ドロケイでの楽しい話です。
ドロケイでつかまったどんぐりKはいきなり8桁くらいの数字を
叫びだしました。もちろんアドリブです。
警察側の子供たちは動揺します、どういう意味なのか
囚人のどんぐりKに問いただしますが、どんぐりKはもちろん答えません。
そのうち、ころあいをはかって、泥棒側の一切攻撃です。
みんなアドリブで数字を叫びながら、一斉に牢屋におしかけて
どんぐりKを含むどろぼうにタッチをして全員解放です。
あぜんとする警察たち。泥棒というよりはインディアンさながらです。
ちなみにドロケイにも宝物とかいろんなバリエーションがありますが、
このプレパークでは、泥棒が全員つかまったら警察の勝ち、
警察がもう泥棒は捕まえられないと全員諦めたら、泥棒の勝ちの
シンプルなパターンです。
なんせ牢屋の周りに、常に警察より泥棒が潜伏している数のほうが
多いんですから、それがわけのわからない数字を叫びながら
あらゆる場所から集結して、囚人が全員が逃げた時の警察の
精神的なダメージは、筆舌につくしがたいものがあります。
警察官へも泥棒へのリクルートがあったりしますから。
遊びの中の工夫はなかなか抽出するのが難しいですが、
こういうことです。アドリブとそのアドリブに応えられる仲間たち
工夫というか、もっと人生で大事なものがそこにあるような気もします。
さて本題へ。
夫とは話をしたくありません
それはそれは困りましたね。
糸山先生はこの展開を想定していて、話す必要はありません。
今より良い環境の、島や田舎に奥さんと子どもたちだけで
逆単身赴任も一案として提案しているくらいです。
まぁ話し合って結論がでないうちに子供が大きくなってしまいます
それもわからなくはありません。
ただ、何度も書いていますが、僕の意見は明確に違います。
僕は夫婦で話し合いができないなら、実力行使がでるような家族は
そもそも子育て以前の問題があると考える、より理想を求める一派ですか
家族はそりゃ問題がおきるにきまっています。
すべての問題は人間関係の問題ですが、家族ほど距離が近ければ
人間関係の問題が起きないほうが不思議なんですよ。
だから家族は問題が噴出する場所であり、それを話し合いで
解決する場所であり、仲直りして、ふたたび問題が出てを
永遠に繰り返す場所です。
解決方法は話し合いしかありません。それ以外にあり得ますか?
総合格闘技で決着をつけますか? マリオカートで決着をつけますか?
そんなことでは決着しないんですから、話し合うしかないわけです。
話し合いは敵対モードで話し合ったら、そりゃすぐに裁判で決着を
つけようなんてことになりますよ。家庭の問題でいちいち裁判をし
きりがありません。ネタはいくらでも出てきて、もっと傷つけあうだけです。
夫婦は協力して同じ方向を向いているんですから、
まずはお互いを尊重して、譲れる場所は最大限ゆずりつつ、
譲れない場所はていねいにその理由を説明して、
合意点をさぐるし
感情的になっても始まりません、論理的だけでも答えはでません。
ふたりのすべてをテーブルの上にだして、
ひとつ
時間もかかります。かからないわけないでしょう。
人生で夫婦で話し合う時間を削減して、他の何かを優先するなら
家族でいる意味はほとんどないとさえ僕は思います。
家族は結局は夫婦がつくりあげるものだからです。
子供でさえ、そ
夫婦が話し合いで物事を解決できないのに、そのシーンをみたこと
子どもがそうできるわけがありません。
何時間かかろうが、何日かかろうがこの話し合いはテーブルをたつ
できない、このテーブルの上こそが夫婦の存在する場所です。
そしてあなたの人生が存在する場所でもあります。
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