トイレットペーパー騒ぎも一段落したみたいですね。
普通に街中でティッシュもトイレットペーパーも
見かけるようになりました。最初の記事を2/29に書いたので
おおむね一か月くらいなんですね。
買占め騒ぎ、そして2/29
いい経験で、今後の備蓄量の参考になりました。
っていうかポケットティッシュも、ティシュペーパーの代わりに
使っていたら、ちょうど使い切ったところです。
また年月をかけて、地道にもらっていくようにします。
あと、全国統一小学生テスト、今年2020年は5/31(日)ですか、
申し込みが始まったみたいです。例年より一か月早い取り組みですね。
塾も青色吐息のようですね、まぁ行くかどうかはコロナの状況次第と
しても、申し込みくらいはしてあげてもいいですから。
近くの四谷大塚の校舎に問い合わせればいいと思います。
で、本題は、親が叱ること、教えることですね。
叱ることについて、むやみに怒っていれば
だんだん子供が慣れてきて、叱ることがエスカレーションして
体罰につながったり、なんてことに同意する親はたくさんいます。
同じ親が、子供に教え込むことの害には全く気付かないんですから
のんきなものです。
叱ることと、全く同じです。
むやみに教えていれば、だんだん子供が慣れてきて、
教えることがエスカレーションして、
子どもが考えているんじゃなくて、親がどう工夫して教えたら
未就学児に微分が理解できるだろうかなんてことになるんですよ。
叱ることも教えることも、
子どもをよく見て、最小限にしなければ、子どもは育ちません。
体罰を恐れているか、教えてくれるのを待って、口をあけているかの
どちらかです。子供は全く育っていません。
こんな風に書くと、じゃあ一切叱らないのか、教えないのかなんて
いいだす極端な親がいますが、そんなわけがありますか。
ただあなたが思ったりやったりしていることの
叱ることは1/100、教えることは1/1000くらいなんじゃないですかね?
肝心なことを肝心な時に、子供にしっかり伝わる方法で
万全の準備をしたうえで、叱ったり、教えたりするものです。
そして万全の準備にはつかわれないものがたくさんあるのが常です。
使われないことがわかっていても準備を怠らない、
準備したものでも使う機会がなければだまってすっかり捨てる、
子供にその準備がどう生きるかだけを見る、
それが親なんですよ。
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