最初は、親が子供をみているということについて。
どんぐりでは子供をよく見ていれば大丈夫なんて
言ったりしますが、口ではその通りです。
ただ口でいくらそう言ってたって、何の意味もありません。
子供をよくみて、それに必要な対応を必要なタイミングで
すること、あるいはむしろしないことを
毎日どれだけ細かいポイントまで、感受性をフルに発揮して
子供の自主性を全く阻害しない形でできるのか、
マニュアルやノウハウはありえない、
親の人生観が毎日根本から問われているってことを
親がわかっていなければいけません。
まぁわかってないんでしょうね。
お気楽に「自分の子供をよく見ること」なんて言っているだけなんですよ。
いうだけならだれでもできますし、別に言ったって何の意味もありません。
本題に入りましょう。
これまた保護者によって違うものなのかもしれませんが、
学習、勉強が最終的にどういうものかのイメージが結構違っていて
びっくりすることがあります。
学習、勉強には、個人が自分で決めて、
自分でやっていくイメージがあるんですよね。
だからもちろん塾とかは使えばいいし、
全く道に迷ったら家庭教師とかのアドバイスを
受けるのもありだとは思いますが、
基本は個人が一人で道を歩いていくイメージですね。
別に小学校の学習内容がどうのなんてまったく思いません。
学習、勉強の道を歩き始める前の、
森をいろいろ遊んでいるような段階だと思います。
そのときに親ががっちり並走して
森をいろいろ遊びながら歩くなんてことは
あまりイメージできません。
親は命の危険がないように見守るくらいで、子供が自分で
どういうふうにペース配分して、どの道を進めばいいかを判断しながら
森であそんでいるようなイメージです。
そして中学校くらいからの実際に歩き始めるときは、
基本的に一人で歩いていきます。
どこで休もうがどれくらい進もうが
本人が決めることで親はとやかくいいません。
あえて言えば、ゴールイメージだけは共有しますかね。
その中学生からの姿を意識して、小学生のときに
どのように勉強を始めるかを考えます。
だから親が常に横についていて教えるとか、
塾に言われるままに学習する
なんてことは思いもよりません。
未来永劫、塾がガイドしてくれるとは思いませんし、望みません。
子供が中学校以降で、自分の足でどう進んで行けるかを考えて、
小学生の時の環境をつくることこそが、親の役目だと思っています。
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