オリンピックは、本当に残念です。
東京で行われることは生きているうちには二度とないでしょうから、
こんな形での開催は心の底から残念の一言に尽きます。
応援したい競技もありましたが、どんなに話題になろうが
いかなる形でも見ることさえないでしょう。
そもそも人が亡くなったり、なくなる可能性を少しでも高めるような
ときに、横でスポーツをしている場合じゃないことくらい誰にでも
わかることです。
結果としてオリンピックには、開催されようが、どうなろうが
個人としてはただただ無関心にならざるえません。
多くの人が無関心になればなるほど、それはないも同然のこととなります。
本当に残念なことですが、いずれにせよ、
スポーツは見るよりやるほうがずっと楽しいですからね。
さて本題に。
なぜなら子供が描いた絵の原体験を、親は多分基本的に全部知っているからです。
子供は体験したことのないものは、描けません。
そりゃみごとなほどに知らないものは描けないんですよ。
想像で描くにせよ、ベースがないと想像すらできませんからね。
その子供の発想や想像までもが手に取るようにわかるのが、親です。
添削する先生なんかには、子供がどう育ってきたのかわからないんですから
そんなことは知る由もありません。
自分の子供の絵のディテールをよく見ることです。
なんならまずお手本の自分の絵に自分の人生が現れるような
ディテールを描きこむことです。
子供は親の絵をみてないようで、みてますからね。
子供が見ているのは算数の問題の解き方なんて小さなことじゃなく
親がどう生きているのか、それがどう絵にあらわれているのか
絵を描くときに楽しそうに描いているか、そんなことです。
夜中によく、どんぐりKの絵を見ながらおいしく紅茶を飲んで
楽しむことがあります。
絵はそのときの子供の頭の中をのぞける一番のツールです。
ただ10歳くらいになると、だんだん絵では表しきれないような
複雑な思考になってきますけど。それでも単純に絵に還元できる
部分もありますし、思考のベースに絵があることは本当に優れたことです。
昔からのクロッキー帳を懐かしく振り返るのは
夜中によく、どんぐりKの絵を見ながらおいしく紅茶を飲んで
楽しむことがあります。
絵はそのときの子供の頭の中をのぞける一番のツールです。
ただ10歳くらいになると、だんだん絵では表しきれないような
複雑な思考になってきますけど。それでも単純に絵に還元できる
部分もありますし、思考のベースに絵があることは本当に優れたことです。
昔からのクロッキー帳を懐かしく振り返るのは
時間がたつのを忘れるくらい本当に楽しいものです。
そうしてそういう時間が過ごせるようになったら、どんぐり問題も
そろそろ終わりに近づいたということかもしれません。
得意気に、これが公園なんだと説明してくれた小さいころの
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