そういった宿題をいくら小学生の低学年から家庭で真面目にとりくんだところで
どこにもつながりません。
音読は、読んでいる対象の理解を示しているわけではなくて、単にその文字を
発声できるかどうかですし、計算ドリルは自分なりに工夫して計算するなら
ともかく、ただ作業を繰り返すなら、何も考えないことを促進するだけです。
漢字ドリルに至っては、なんのために書いているのかもわからず、
ただ文字を書き連ねても、本当に何の意味もありません。
宿題は間違った家庭学習の習慣をつけないためにも、
低学年でこそ親が子供の様子を見て吟味してやるのが
むしろ好ましいレベルのものです。
小学生を通じて、学校からどの程度の量の宿題がでるのかはありますが
質的にみればほぼ変わらない状態なので、
「家庭学習」の「質」をどのように担保するかは、重要なことです。
そして学習は分散・継続して続けていくことが大事なものなので、
小学校低学年での家庭学習でのはじめかたこそが、とても重要になるわけです。
それがこのブログで延々と書き連ねてきていることです。
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